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コメントさせていただいた者です。
ありがとうございます。この記事でおっしゃることがようやくわかりました。
内海‐北之原 の類似というのはおれじしん気になっていたところで、「やってることはちがうのになんでこうも感じが似てるのか」とちと面倒がっていたのですが、氷解しました。要するに「絵のフレーム決定」が京アニにおいてこの二人が特殊で、それぞれ必殺技にしている(北之原演出はけっこうワーク与えますが「止め」です)ということでしょう。もっとも京アニ的な演出とはおれにとって氷菓第3話(石立太一)です。
京アニの基本的なコンポジションは、たまこまはこそかなり怪しいものでしたが、フォトリアリスティックなものです。地面まで入るフルショットが非常に多いのですが、そればかりでなくバストアップやキャラの部分を大きくクロサップするカットにおいても写真的に作りこんである:
ここが内海‐北之原 のローアングルでの差異でもあるかと。内海演出の担当されたフィルムに見られるものはフォトリアリスティックですが北之原演出のはマンガです。ローアングルでアオって地面が画面で入るということは、ガラス張りの床より下にカメラポジションがあるというのでなければ、かならず以下のような構築が必要になる。
レンズ意識(収差)や画角の問題に併せ、単純に「カメラポジションより上に来るものはアオリ、下に来るものはフカンで描く」ということはふつう徹底されません。アニメーターはそこまで絵がうまいわけでない。なのにそんな画面を作り上げる京アニの作画チームはやはり異常だと思います(植野千世子くらい勘で描いてたらまだわからないこともないんだけども。秋竹斉一はまったくできないみたい)。
P.A みたいに3D レイアウトを原図にする(原画マンを通さない原画を背景美術に回す)というならフォトリアリスティックにディテールを作り込むことはできるのだけど、やはりちぐはぐになりやすいですね。きわめてプリミティブに高級な画面を作っているのが京アニだと思います(韓国、フィリピン原画もプリミティブです)。
さて、「足を切ると描きやすい」というのは「ごまかしやすい」というだけであって、板垣伸の言うように拡大縮小でごまかせるのは間違いがそれとして意識されないだけです。レイアウト上おかしいというより、仮に意図があったとして、意図が汲まれない場合でも「間違いではない」「別な解釈ができる」画面。とんでもないアングルで覗いていることになっても画面それ自体は整合がついている。
で、われわれの頭にはこのコンポジションが染み付いていて(自覚的な板垣伸はすごいです。自覚的であんなにつまらないなんて)、おれなんかもなんとなくキャラの顔からまわり描いてみるとそうなってしまいます。要するに書き割りですね。北之原演出のローアングルも内海演出のライトアングルも書き割りなんですが、内海演出は書き割りで描けるアングルでうまく設計しているのだと思います。北之原演出は書き割りをなんとか作りこんで石立太一みたいにしてるようにしか見えません(珍獣すぎてわからない!)。
でもこれってJ.C のアニメとかだとふつうに出てくる画面なんですよね(桜美かつしなんか珍獣だし)。京アニがフォトリアリスティックな画面を基本にしていて、われわれにもそのマインドセットがあるというのがまず問題なんでしょう。むしろやたらに(作劇にとって夾雑なものが出てきても)画面を決め込む「木上病」がやはり問題なのかなと思います。
ちなみにおれはチョイちゃんが堀口悠紀子のデザインのなかでもっともクリーンなものであると思います。肉襦袢みたいなのばっかなのに。河川敷でデラちゃん抱えて座るとこが、チョイちゃんのなんたるかを伝えてくれるすばらしい作画だと考えます。
>むしろやたらに(作劇にとって夾雑なものが出てきても)画面を>決め込む「木上病」がやはり問題なのかなと思います。
これですねえ
FIXを選択している以上は画面を決め込むっていうのはまあ当然なんですが
実際はキャラをやたら動かしてたり配慮の欠いた構図だったりカット割りだったりっていう印象です
決め込んだらもっとでーんと構えてもいいと思うんですがないですねそういうの
京アニはFIX捨てるべきです
ああ、思いつかなかった、FIX を捨てるという途もありますね。
ちょっと面倒をおかけしているんじゃないかと心配になっています(もしそうだとしても今後はここまでくどく書かないので厭がらないでください)。お話をうかがっていて面白いのは、どうもおれとあなたの考えかたは真逆、というかぜんぜん異なるものを前提にしていることによると思う。
京アニのフィルムが作品の面白さを効率的に伝えられていない、という着眼点はこそ同じだけど(おれは今後あなたの「木上病」という画定に依存します)、どの要素を弄るべきと見るかでけっこう差異が見られます;ちなみにリトルウィッチについての考えもかなりちがう。おれもあの作品はダメだと思うし、アルヴレズルの出来の良さはいいと思うけど(ただ、あれ「アニメーター育成」に適っていると思う。芝居の種類が多い)。
おれは「イラスト的に作りこまれているとワーク(レイアウト全体のスライド)をつけられない」という考えかたをするんですね(TU‐TB は可能)。説明は省きます(長くなったから削ってるだけであって書いてます)。
望月智充のフィルムがFIX 寄りだったのにはきっと、この関係がちょっとあります。かれの演出は映画的(高畑勲チック)なところがあるから「FIX 主義!」って感じがしますけど、基本はAプロ(というか、ドラえもんまでの芝山努)のライン、画面をイラスト的に作り込むスタンスから来ています(出崎統がFIX 主義の反対の賛成みたいなことになっているのは杉野昭夫の絵や元祖バカボンが劇画だから可能なのです。だからルパンはあんなことになってるんですね)。
それと同じように京アニ(と現行のアニメ)はFIX 気味になって当たり前だと思うのですが、しかしPAN を前提したフィルムも作れるはずで(演出の撮影へのコミットメントも強そうだし)、するとあのわちゃわちゃうるさい画面にならずに済むと思います。たぶん北之原演出と同ランクの画面が多くなりますが、かれの画面を安いって言ってるひとっておれはあなたしか知らないし(笑)、「京アニレベル下がったな!」なんて言われないと思う。いや、小川演出とか木上病でもアイデアたっぷりだから良いと思うんだけどね・・・
おれはカット数減らしたらいけるんじゃないかと思うんです。6sec くらいの長さ(通常のアニメの二倍くらいですかね)を基準にしたら芝居の内容も変わるし。とにかく動きのコントロールを見せたいという意識が強く、芝居が「所作を見せるだけ」に留まっているので(80年代のリミテッド作画は雑なコントロールで芝居叩き込んでいますがその逆。木上益治は80年代からしっかりコントロールしてましたけど)、これを変えたら動かすにしても有意義になるんじゃないかと思う。無駄にフニフニさせられないからっていうシバキ主義なんですが(笑)。
中2病では武本演出も(たいへん宜しくない)ジャンプカット使ってたし、時間足りなくなったとしてもそれで補填したらいいんだよ。小川演出もたまこまのヘンだったし(B後半のは山田尚子の発想ではないと思う)。
まずコメントに関しては全然問題ないですよ
ずーっと最近のコメントの欄が空白だったのでむしろうれしいです
ブログをやり始めた理由に、ああなんじゃないかこうなんじゃないかと言い合う場を作りたかったっていうのもあるので
取りあえず言いたいこと気軽に書き込んでくれたらいいです
コメントの内容に関しては
非常に邪推で申し訳ないんですが京アニの演出志向にFIXってかっこいいんじゃないか、カットばかばか割るのがイケてるんじゃないかっていうのがあるんじゃないかと思いまして
それでちゃんとできてれば良いんですが、どうにも噛み合わない
それならPANでも使ってアニメアニメしたらいいというのが理由です
特に中二病はポル産として期待していたのでダッチアングルとか足元からPANUPとかたくさん使ってほしかった
やっぱり嫌なんですかねそういう萌えアニメ的なものは
で真面目な話に戻すとFIXでいこうとするなら長回しは一番合理的ですね
6secってかなり長いですけど京アニは美術も撮影もかなり入ってるので全然大丈夫だと思いますし
>無駄にフニフニさせられないからっていうシバキ主義なんですが
これが一番期待できそうですw
FIXってもっとピリピリ緊張感あるもんだと思ってますから
むしろ動かすなーって感じでやって欲しいです
元々ヤマカンがそういう思想じゃありませんでしたっけ?
昔は京アニも超ロングとかで回してた時期もあったと思うんですが
ありがとうございます。どうしても長文になるのでブログに記事を書きリンク貼って読んでもらったほうがいいかなとも思ったのですが(事がジャパニメーションの本質的な領域に触れているので)、まとめるのはどうも難しくて。このブログに書けるのはすごく助かります。
(ヤマカンが)そういう思想っていうか、ふつう、およそ演出はみんなそうだと思う(笑)。可能なかぎり芝居がない(芝居のすべてが有意義)のがいいのは当たり前で;
[ヤマカンは異化(あるいはおちょくり)で緊迫感を作っていて(すごく短いパッセージでシーケンスを作る癖もあるんですけれども)、それでとくべつ芝居が邪魔になると思うんですが、やっぱトリッキーなカット割りの妙がアニメ演出の力量を表すんだ!って言いたい向きが強いんじゃないっすかね(笑)。ハルヒOP→らきすたOP ってやはり大事件だから、なにかそういう思想めいたものがあるような気もするけど。]
ヒッチコックくらい執念深いひとはなかなかいないと思うけど(小津は止まってるから別)、ドラマツルギーの邪魔になる(というか、取りちがえを惹き起こす)芝居っていうのは出てきてはいけないものだから。ヌーベルバーグ以降はそういう部分(冗長性。ハプニング性)を管理するって視座も出ていると思うけど。
演出っていうのはきっとそこが難しい。だからクロスでショット繋いだり、わかりやすくて強い(言ってくるようなコミカルなな)演出が好まれるんだけども。
で、作画の神様大塚康生は「そういう思想」なんですよね。これはたしか板垣伸のコラム(アニメスタイルの。行き当たりばったり、だっけ?)にも出てたはずですが、演出のイメージを具体化して、見映えよくする。で、それ以上のことは「してはいけない」なんです、たぶん。それには宮崎駿という作家によるところもあっただろうし、まあ、虹色ほたる誉めてたからちょっとわかんないんだけど(たぶんリップサービスだと思う。信じてる)。
あ、ハルヒOP ではなくハルヒED ですね。いやもう、あの瞬間はみんなもう忘れてるかもだけど。
おれなんか後追いだけどらきすたOP みたとき「ぜんぜんちがう! 両方合わせてとても良い!」と思ったものです。
京アニの作画なんですけど、「基本的に」(というのもやはり実験的な側面をウリにしてもいるのでちがうものも出てくる)セル分けしたキャラを丁寧に動かして画面を曼荼羅みたいにしてるように見えます(そういやこれまた板垣伸、セル分け馬鹿にしてた)。たまこま第10話が顕著ですね。なんかエロアニメで顔とおっぱいとふくらはぎとを別々に動かしてるみたいな。これもう、京アニだけじゃないんだけども。
やはり作画の技量はすごいし、複数のキャラをフルショットで動かすから重いんだけどアニメーションとして非常につまらないところがあると思う(最近まではコントロールもつまらなくて。鈍重な女の子を鈍重に、ただただリッチに作画してる。そりゃあお茶呑むよね)。まあ、せっかく作画してくれてるんだもん、巻き戻してどんな芝居だったか確認しちゃうよね。武本演出だと、これまたたまこまが顕著なんですが、芝居を見やすくするように整理してるんですね(武本演出が漫画のネーム作ったら吹き出しつけるのうまそう)。
芝山努が好きなんで京アニのイラスト的な画面はぜひとも保守してもらいたいし、などうしても他のテレビアニメよりFIX 寄りになると思う(噛み合ってないのはFIX 活かした珍妙な演出効果狙ってないからじゃないかなあ・・・派手狙いではあるんだけど)。
で、そういう画面にしたエクスキューズとしてわちゃわちゃ芝居させたいのだとしたら、やっぱどうしても尺が短いんだよね。お話を考慮したら難しいところなんだけど。現状ではたいへん食い合わせが悪い。
まあFIX 捨ててもね、予めワークを考えたレイアウトだったら面白いんですよね。トムとジェリーとか。細田直人、いまかかってるはたらく魔王さま第1話なんかたいへん感心したんですが(激オススメっす。氷菓の最初の河浪栄作担当回も観て)、あれでもけっこう作画の良さ見せつけられると思う。ずっとワークついてるし、ふつうの演出家はあれだけの能力無いと思うけど、京アニは撮影自社だから有利でもあるはずなんだよね。
長回しって言ったら北之原演出のエアー第7話ですよ(笑)。たしかBパートで2分超えと1分超え、2つあったと思う。おれあれ鍵信者だったら意見書送りつけるなあ、意味わからなくて笑った。
まあ、あの回は特殊だし、FIX 長回しって演出としてかなり強いものなので画面がどうのこうのって感じでもないんだけど。ただおっしゃるように、画面が保つ云々ってけっこうアニメ演出は気にするようで(おれ画面保ってないカットって経験無いからわかんないのよ)、ぜんぜんI.G より胸腫れるレベルなんでその点は気にならないはず。キャラもそうなんだけど、背景のディテール減らしてほしいくらい。
あんまり北之原演出馬鹿にして面白がってると思われたらいやなんで付言しておくと、北之原演出担当のエアー第10話は大傑作だと思います。マンガなキャラでホラーやるのは向いてるのかも(エアーはキャラ昆虫みたいになっちゃってそもそも気持ち悪いけど)。
実は見てました
偶然ですが氷菓はこの4話だけ見ていてストーリーは知りませんがあまりいい印象なかったです
で見直してみたんですがやっぱ落ち着きがないですね
室内でこれだけアングルが変わるっていうのも中々ないでしょう
マスターショットではないですが一回戻ってこれる構図が一つは欲しいところです
邦画だと堤さんとか鈴木雅之さんとかはかなりきわどいカット割りやアングル多用しますが
あれはあれで理路整然としてる印象があるのでやっぱ雑に感じました
そうなんですよ、B中盤。観ててわけわかんなかったんです(笑)。落ち着きが無いというか意想外のカットばかり積み上がっていって(それでどんどんどんどん割っていくし)。
この状況設定(キャラクターがぜんぜん動かない)でそのモードをずっと保っているのがすごいと思ったんです。マスターショットを明確にするでもなく、シーケンスわ見やすくまとめるでもなく、ただただ持続させている。
とにかく人を不安にさせる演出だと思うんですが、お話がなんでもないと知って大笑いしました(印象としてはちょっと堤幸彦に似てるかもしれない)。この各話で「ああ、これはミステリーものというよりミステリーネタの青春ものなんだ」と得心のいった(また、そのことに関心した)次第です。
とにかく大袈裟だから京アニって感じがするんですが、同時になかなかクレバーなものだな、と。真っ当なやり口ではないと思うのですが、面白い演出だと思って注目するようになりました。
で、ヘンなのはそのシーンくらいだと思うんですね。直前の縁側のシーケンスなんかはたいへんスマートな出来ですし(これ、「おれは馬鹿ではないぞ」っていうエクスキューズだと思います)、フィルムを通して千反田邸をうまく説明できていると思います。
また、これはちょっと穿ちすぎだと思うんですが(あまつさえ河浪栄作のアイデアなのかどうかわからないし)、えるの渡す傘が安物なのがまたいいと思うんです。来客に高価い傘渡したら気を遣わせます。ナコルル大好き武本康弘だと誤って番傘かなんかにしちゃいそう。
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