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アニメミライ2013

■アルヴ・レズル
原作付で元々はOVA企画であったものをアニメミライ作品として組み込んだ作品
アニメミライの要綱をブッ飛ばしたかなり特殊な作品であるため一番槍玉にあげられる可哀想な作品である
しかしそういった状況の中にありながら4作品の中で一番出来が良かったのはよく頑張ったと言いたい
25分作品として見た場合実際に売りに出せるのは4作品の中ではアルヴ・レズルだけであり(というか実際に商品として出ている)
他のははっきり言うと没である
文章・説明過多なライトノベル特有の原作を自らアニメ用にリファインした原作者、更にその脚本の意図をよく読み演出技法の巧拙はあれど映像として起したよしお監督
この双方の頑張りは素直に褒めたい
アニメミライの中では異端である作品ではあるが若手が試行錯誤をして世に出す一つの作品として質を高めたと考えれば
本来のアニメ業界の若手育成の面で捉えれば非常に意義があるものだと思える

■龍 -RYO-
ある程度歴史に精通しておけば本作で起こる出来事を理解するに足りるだろうと思われるが
主人公であるRYOがおそらく架空の人物であるので史実を追うだけではこの作品の全容を把握できない
そうなるとやはりキャラの掘り下げが必要だということでおおよそ25分の作品としては評価不能
いわば長いプロモーション映像を見せられたといった感じで
これを足掛かりにテレビシリーズに繋げればいいなあという思惑が透けて見えてしまった(没企画?)
何とも情けない話で「アニメミライ」と冠した作品にも関わらずアニメ業界の斜陽っぷりを感じさせる作品
アニメーター育成という観点からはいいかもしれないが本当にそれでいいのか

■デスビリヤード
終始疑問符が付きまとって話にまったく入り込む余地がなかった
猫物語でも感じた作者の行かせたい方行かせたい方に強引に方向転換する作品で(まるでクレイジータクシー)
何故そんなこと言うのか、何故そんな行動に出るのかというのが解消されないままどんどん話が進む
この手の心理描写を扱った作品で視聴者と登場人物との距離が離れてしまうのは致命的だ
なんか最後に何か宣ってた気がするが本当に何を言っていたのか覚えていない
あいつらなんでビリヤードしてたんだ?ぽかーんで終わる
演出・作画は4作品の中でもかなりいい出来だっただけに勿体ない
脚本が駄目だと何もかも駄目になると痛感する作品であった

■リトルウィッチアカデミア
テンプレにテンプレを重ねて定跡からなに一つ外れず何一つ捻りもなく視聴者の想定に完全に収まる話
見たことない人が適当にどうせこういう作品でしょ?と言ったとしても高確率ではい、そうですと言わざるを得ないような見なくても把握できる内容
果たしてそういう作品が視聴者の欲求を満たせるかと言われれば甚だ疑問で(某ロスカットさんの盛り上がりに欠けるという感想ははっきり言ってもっともだ)
2013にもなってこのような創意工夫ゼロのお話が出てくることに正直驚く、あまつさえこれが世間一般で一番評価が高いというのだから呆れてものも言えない
そういった指摘をすると王道だから良いのだと言われるが、いわゆる王道と呼ばれる作品群でも必ずその作品を特徴づける個性的な部分が見られるはずだ
それが無ければ作品としての価値を見い出せずとりわけ見なくてもいい作品になってしまう(アルマゲドン2009)
小学生のお遊戯会ならよくがんばりましたねーと褒めるところだが吉成さんあんた40越えてこんなのやりたかったの?
ただそれはPVを見た時点でありありと予想できていたわけで何故今更殊更に文句を言っているかというと
この作品としての価値を見い出せる要素が実はあったのだ
日本のアニメには見られない色彩感覚と等身を低くしディテールを廃しながらも萌えとエロをそこはかとなく残したリビドーを感じさせられるキャラクターデザイン
この吉成独特のビジュアルに作品の10割方を傾けられれば一発逆転あると思っていたので期待してしまったのだ
しかしこのありさまである
本編では予想に反して平易なレイアウトやそれを補うPANなどかなり古風な言ってしまえば手抜きとも取れる演出で構成されていて、ビジュアルを魅力的に見せることが主眼が置かれていなかったのだ
その代わりと言ってはなんだがアニメーションそのものは非常に手が込んでありまあよく動かしていた
しかしそれがまたそこはかとなく残っていた萌えやエロスまでかき消すことになるとは何たる皮肉か
作中でそういったものを感じさせられるシーンがベッドで3人が話してるシーンだけであった
要するに自分の中でリトルウィッチアカデミアという作品は早々に終了してしまったのである
よくよく考えれば吉成の志向がそっちに向いていると最初に気づかなかった自分が悪いのだが
他3作品よりリトルウィッチアカデミアだけに厳しくなってしまうのはそれだけ期待していたということだ(4作品の中ではデスビリヤードが断トツのゴミなので一応安心して欲しい)
それだけに残念で仕方がない

■まとめ
どの作品も一長一短ではあるが一つ同じことが言えるのが本職の脚本家が書いた作品がないという事(RYOだけは連名でいたが)
特に普段文芸に携わらないスタッフの書いた脚本が(個人的に)軒並み低評価であったことを考えると
アニメの分業化は大変理にかなってる制度でありアニメーターだけ育成しても何も意味がないことが分かる
脚本家、演出家を育てられなければミライなんてないよと作品をもってして指し示してくれたと考えれば意義のある企画だと言えるのではないだろうか

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古い演出・新しい演出

超個人的に感じる演出の古い新しいです(というかただのメモです)
演出の評価軸はまた別にあって古い演出だからと言って下手とは言いません
ただ割りと若い人が古い演出をやっていると若いのにこの先大丈夫かとは思います
偏見です


TU・TB⇔ポン寄り・ポン引き
これはそのまんまです
古い人はTUTB、若い人はポン寄り・ポン引き、一番明確に出るんではないでしょうか?
カット割らないか割るかの差だけです
ポン寄り・ポン引きは前後で被写体のサイズが明確に変わるのでTUTBより緩急ありますが
視聴者がもうカット割りに慣れ過ぎてるので差があまり出なくなったのでしょう

ディゾルブ⇔そのまま
これも同様にカット間でクッションを付ける必要が無くなったといった感じでしょうか
正直繋がらねえと思うカットでも入れると繋がるんで使えば楽になると思うんですが
俺カット割りうまいんでいらないっすってことでしょうか
ただしワイプだけは今でも普通に使われます(実写ではものすごい昔に絶滅)
これはおそらく岩崎良明(もしくは山本天志)の功績でしょう

目のクローズアップショット⇔芝居
これは現状だとほぼ女演出家の人しかやりません
目のアップは客観的なカメラで最も視聴者を登場人物に寄らせるショットです
逆に言うとそこまで寄らないと人物の意図が読み取れない時、要するに機微を表現したい時によく使われました
わざわざ目だけにしたのは他のアップは生きているからです
例えば目のアップと対義的な意味を持つ目を隠して口だけのショットなんかはまだに生きてます
今は普通に芝居させますね
作画に対する余裕が出てきたのか、そういう考え方の人が多くなってきたからなのか
まあ時々顔芸やらオーバーだって言われたりしますが

ダッチアングル⇔水平
これも割りと最近では見なくなりました
カメラを傾けるのは実写映画ではほぼみられませんが写真ではよく見られる構図です
アニメを静止画と捉えるか動画として捉えるかの違いでしょう
これは後述するPAN・FIX抗争の中でも出てくる概念です

ピン送り⇔パンフォーカス
これは謎です
今まで上げてきた演出は実写でも大抵廃れているものですが
ピン送りだけは実写でもバリバリ現役で何故使われなくなってしまったのかわかりません
これあとで出てくるFIXとの関係が深くFIXで行える自然な視線誘導の有効な手段としてあるのですが
FIX派でも碌に使われません

PAN⇔FIX
最近の傾向としてPANは古い演出でFIXが最先端なんだという感じがします
まあ考えればわかる話ですが普通の演出家は併用します当たり前ですが(FIXは糞むずい)
ただ現状として取りあえずFIXしとけば良い演出だという傾向が素人間ではあります(プロはどうだか知りませんが)
まずPANを見ていきましょう
実写では演者>カメラが基本です
被写体が動けばカメラはそれを追います、それがカメラの役割です
ほぼ8割がたのカメラワークはこれで、さらに言うと8割方の画面はこれです
PANはいわば動画の基本となる演出と言っていいでしょう
アニメでもつけPANやフォローPANと言われ同様な効果のカメラワークがあります
ただしアニメでただ単純にPAN言う場合はこれに当てはまりません
アニメで言うPANはただ単純にスライドさせて画面の中で被写体が移動するようなものを言います
これは実写に於いては人物に対して行われることはまずありません
じゃあどういうときに行われるかというと静止物を撮る時とかに使われます
ニュースや通販番組なんかでよく見られると思います
つまりのアニメでは人物であろうが全然動かないのでこちらで動かすという仕組みです
(視聴者は画面上の変化を追うので止まったままだと変化を求めて目を散らします)
これに異を唱えたのがいわゆる某京都出身のアニメ演出家で
人物を静止物に見立ててカメラを動かしてごまかすのは手抜きだといってFIXを導入しました
ではFIXの考え方を整理しましょう
FIXの場合はPANとは逆の理論です、つまりカメラ>演者となります
カメラのフレーム内で起こることがすべてになり演者は明確にカメラに縛られます
例え動いたとしてもそのフレーム内でカメラの意図した場所に意味のある動きしかできません
(自由に動いて良ければFIXを選択した意味がないからです、PANで被写体を追うかカットを割ってください)
そうした操作をしてフレーム全体で一つの意味のある構図にするのがFIXの基本的な考えです
非常に人工的な演出なので神経を尖らせなければ視聴者が違和感を感じるだけで意味がありません
※ただし例外として「場所」が被写体の定点カメラ等はこれに当てはまりません
さて先ほどのアニメは動かない問題でFIXを選択した場合はどうすれば良いでしょうか
まず考えられるのが動かすことですがただ単純に動かしただけでは意味がないのは上記のとおりです
次に考えられるのは目を散らされても大丈夫なように画面全体で一つの構図を作ることです
どちらにせよ高いレイアウト能力が要求されるのは必至です
先述したピン送りはこれらに比べると比較的簡単な手法ですが何故か死に演出と化しました
FIXが基調の実写作品は映画草創期の作品以外でははっきりいってまずないです
それでもFIXを選択し成功した作品は一種の芸術作品としての趣すらあります
実写でも一握りの中でアニメでこれを目指すのは至難の業でしょう


全体の傾向としてはどんどん難しい技法を選択していってるという事でしょうか
若手がそういったいわば本格派な演出を進んで選択している現状は中々いい傾向と言えるかもしれませんが
現実は死屍累々と言った感じです

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カミシモ論

上手下手やスクリーンディレクションは演出の初歩の初歩です
演出オタクはこれにのっとって言及し
さらにはプロのアニメ演出家も取り入れています
由緒ある演出論です

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2012

あけましておめでとうございます。
日付見たらもう8日、今更かよって感じですが…
その上さらに去年のアニメの総括するんだから時期外れてるってレベルじゃない^^;
ホントは年末に上げる予定だったんだよ?でも猫のせいで…


取りあえず2012年に1話から最終話まで見た作品が以下の通り

---------------------------------------------------------------
さんかれあ
パパのいうことを聞きなさい!
ゆるゆり♪♪
超訳百人一首 うた恋い。
To LOVEる -とらぶる- ダークネス
好きっていいなよ。
だから僕は、Hができない。
TARI TARI
となりの怪物くん
中二病でも恋がしたい!
猫物語
---------------------------------------------------------------

少ねえ…
一応上から良い順に並んべてるつもり
総評とあと個人的に演出的見所のある話数を適当にピックアップしたいと思います
作見は全然覚えてないので自分で調べてください^^


■さんかれあ
2012の中では断トツ
人が死んで死んだことが受け入れられるまでの時間を
ゾンビ娘とゾンビ大好き人間という設定を使って描く
とかいうくっそむずいテーマをド直球で貫いた作品
ゾンビ娘とか設定だけじゃなかったんですか?
れあちゃんのエロエロなシーンが見れればそれでいいじゃないですか(ちなみに蘭子派です)
最終話ボーリング場での千紘の独白から日記をつける千紘への時間の跳躍、クロスカッティングは
未来に少しだけ余白を感じさせる構成で作品の〆としては極上な出来
ラストカットのサブタイトルThe Meaning of Biteでようやくこの作品が言わんとしていたことが分かる
れあは自分がゾンビであることを受け入れる、千紘はれあを女の子として受け入れる
そうすることで初めて二人が近づける、逆に言うとそうしないと近づけない
これが妥協ではなく二人の出した精一杯の答えとして落とし込んだ監督の手腕はお見事
ただし世間一般では糞最終回として有名な様子…
(演見 畠山守回全部)

■パパのいうことを聞きなさい!
さんかれあに続いてテーマ性が出ていた作品
よく親殺してハーレム楽しんでるアニメとか言われるけど
小学生が外で夜風に当たりながら涙を流すという状況まで追い込んでるアニメのどこがハーレムアニメなんだ
わんわん泣かすアニメが多い中やっと泣いてくれた、泣いてくれてよかったと思えるアニメは貴重
最大障害と思われたひなに関しては案外あっさり乗り越えてしまったのが残念
(演見 第4話 コンテ:高橋丈夫)

■ゆるゆり♪♪
1期より2期の方が好き
作画方面に対しての言及が多いが(太田がそういう作り方する人)
個人的に色彩設計と撮影も褒めたい
影無しキャラセルが浮きまくりのアニメが多い中キャラデを最大限生かした調和のとれた画面は称賛に値する
萌えアニメでありながら遊んでも問題ないフォーマットを作ったのは賢い
(演見 第11話 コンテ:太田雅彦)

■超訳百人一首 うた恋い。
原作が面白いというか日本の平安文化が面白い
話が面白ければ大仰な作画も演出もいらない日本のアニメの極致みたいな作品
他のアニメだと手抜きと言われる表現も話が面白いので全然おk
つなきあきのシンプルな線構成だが艶のあるキャラデも○
手抜きでいいと言いつつだからこそコンテの地力の差が出やすいとも言え
実は2012の中で最もコンテが良いと思ったのがこの作品の10話だったりする
(演見 第10話 コンテ:左藤洋二)

■To LOVEる -とらぶる- ダークネス
大抵のハーレムアニメは男が糞なんであんま見ないですが
この作品に関してはリトはものすごいまとも
逆に女の子が癖がありすぎてどうも…
特にこの作品の主人公であるモモが碌でもない女なので終始モヤモヤ
ただ最終回でようやく素のモモが見れたので評価うなぎのぼり
メアのモモを出し抜けるキャラポジションも○
なんだかんだで丸く収まった
(演見 第3話 第8話 コンテ:星野真)

■好きっていいなよ。
少女漫画で1クールというのは描写がかなりはしょられるのでマイナス点と思われたが
逆にキャラの性格も案外さっぱりした感じになったので
わだかまりなく好意的に見られた部分もある、中々いい塩梅の構成だった
個人的には癒し系アニメとして安心して見れた
ただし演出に関してはかなりチグハグで明確なリードを取れなかったように思う
引き絵になるとしょぼくなる割りにはかなりそのままでしゃべらせてた印象
引き絵も撮影なり作画なり入れるか引き絵禁止措置を講ずるべきだったのかもしれない(あるいはその逆)
(演見 第4話Bパート コンテ:光田史亮・真菜陽)

■だから僕は、Hができない。
個人的には普通、世間ではかなり評判悪い
1クールで展開が2回も変わるので中々難しかったのかもしれない
視聴者的にもそうだが脚本的にも展開が強引に感じられる場面が多々あった
意欲作ではあるがでもやっぱり普通
(演見 第9話 コンテ:川崎逸朗・高橋丈夫)

■TARI TARI
印象あんまりない
作画は固く会話のカット割りがしゃべってる人だけ映すんで糞退屈
この手のアニメは障害にぶつかって乗り越えていくのが定石だと思うんだけど
最初から最後まで非常識な大人が足を引っ張っていた感じ
頑張れと思う以前に可哀想だと思ってしまう話の作り方には疑問
(演見 第4話 コンテ:許琮)

■となりの怪物くん
スーパードS水谷雫
ハイスペックな春をがっちりホールドしていることをなんとも思っちゃいない
むしろそれをいいことに春にやりたい放題
その癖変なとこでデレスイッチ入ってハグしてきたり頬触ってきたりする
魔性、女狐、悪女
この作品における怪物くんは間違いなく雫
でも実際可愛いから憎むことができない(ちなみにユウちゃん派です)
最後は尻切れもいいとこなんで順位はここ
アニプレはうんこうんこうんこ
(演見 第2話 コンテ:長沼範裕 第6話 コンテ:田頭しのぶ)

■中二病でも恋がしたい!
京都に対する色眼鏡外して視聴
やっぱり業界最底辺でした~
(演見 なし)

■猫物語
他人の家に勝手に土足で入りこみ家人を勝手に加害者と被害者に選別
更に勝手に被害者認定をした人物に対して考えを一転させ勝手に気持ち悪いよばわり
その上お前は一生そのままなんだから諦めろと勝手に断定
挙句全部自分に委ねてくれれば助けてやったのにと言って勝手に捨てる
そんなのいいわけないでしょう
でも話によるとなんかすごい面白かったらしいよ
(この作品に演出は存在しません)

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千年戦争アイギス オンラインゲーム